■誤字訂正
・21P 8L:※削除…同潤会アパートの註釈は本文中に入れ込んで、※を消すのを忘れてしまいました。
・23P 3L:同潤会第1号…第一号は中之郷アパート。記憶違いでした。
・26P 7L:巽橋から眺めた大島川西支川の風景だ…全体的なレイアウトは酷似していても建物の形状が異る物件が多いので断定はできない。多分どうだと思う。
・29P 2段目12L:恋→鯉
・30P 10L:クリィミー→クリーミィ
・30P 2段目7L:明大前の第一旭…閉店した模様。なおこの第一旭は神戸ラーメンを名乗っていて、神戸には幾つか支店が現存している【公式サイト】
・32P 2段目13L:参考文献が2Pに渡って…1Pでした。
・32P 註釈10L:惜しい→押井
・35P 2段目19L:「既に」を削除…既にを同文中2回も使ってしまった。

■追加註釈
・4P※GHQ:追加文章
…本部が置かれた第一生命ビルの他、同じ丸ノ内にある有楽ビルは士官用の、東京海上ビルは婦人軍属のための宿舎となった。東京會舘、明治生命ビル、内外ビル、日本郵船ビルなどの主要な建物だけでなく、聖路加病院なども接収を受けた。
・7P戦後新宿の闇市:追加文章…現在のフルーツの高野・カレーの中村屋辺りが竜宮マーケット尾津組(区画整理で区役所前に移り青線となり、33年の売春防止法以後ゴールデン街となる)。じゅらく辺りの闇市ニコニコ横丁が野原組。西口は和田組の闇市ラッキーストリートはパレットビル(西口会館)になったが、残った焼き鳥横丁が、ションベン横丁→思い出横丁となる。

・21P※同潤会アパート
…1923年(大正12年)に発生した関東大震災の復興支援のために同潤会は設立された。震災では木造家屋が密集した市街地が大きな被害を受けたため、不燃の鉄筋コンクリート造(RC造)の国産集合住宅の草分けとなった。デザイン的にも一部アールデコ調に設えられる等モダンで、ライフスタイルを提案する集合住宅の先駆けともいえるだろう。
大正15年に竣工した墨田区押上の中之郷アパートから、昭和9年の新宿区江戸川橋の江戸川アパートまで計16箇所が建てられた。平沼町アパートも代官山アパートも昭和2年築。平沼町は横浜駅近くで、解体は昭和57年と最も早かった。代官山は平成8年(96年)で後の代官山アドレス。代官山は単身者向け部屋も多く、写真の銭湯の他、食堂も用意された。また根岸近辺では鶯谷アパートも存在していた(昭和4-平成11年)。
電気・都市ガス・水道・ダストシュート・水洗式便所など最先端の近代的な備えられ、居住者としては主に都市の中間層(サラリーマン等)が想定されたが、立地に応じた状況から、職業女性向けに大塚女子アパートや、スラム地区対策(不良住宅改良事業)として建設されたアパートもあった。
同潤会自体は1941年(昭和16年)戦時下に住宅営団に業務を引き渡し解散。アパートは戦後、一旦東京都の管理下に置かれたが、大部分は居住者に払い下げられた。

・31P 2段目9L※ゆうきまさみ:
1957年生。漫画家としてはアニメ誌『月刊OUT』でデビュー。アウトというマニア色・同人色の強い誌上での活動とあってか、『週刊少年サンデー』掲載以後も、出世作『究極超人あ〜る』連載(85年)をしてもなお、同人ノリを色濃く残した作風で、今でいうオタク寄りの作家という印象をずっと持たれていたように思う。実際、アウトのみのり書房から出た『ぱろでぃわぁるど』に見られるように、ガンダム等のアニメのパロディ漫画が同人誌即売会を舞台に展開されているし、大林宣彦の映画で一世を風靡し、マニアの間で人気の高かった原田知世のパロディネタ、そしてあ〜るでも怪奇大作戦やねじ式など、凡そ当時の少年誌の読者が分からないであろうギャグを盛り込むといった、かなり偏った作風だった。その意味では同人ノリの商業化の先駆的存在かもしれない。
あ〜るの後にサンデー誌上でパトレイバーが連載されるのだが、そもそもパトレイバーの企画はゆうきら仲間内の企画ゴッコのようなものから生まれたもので、当初は日本の極近未来の話ではなく、どこぞの惑星のSF設定だった。そこからビデオアニメが同時進行的に展開した。ゆうきの漫画版パトレイバー(88年)でもコミケネタやガンダムネタなど散見できるものの基本線はオリジナルのストーリー漫画であり、この辺りから本格的に商業漫画家として基軸が確立されたように思う。その後『じゃじゃ馬グルーミン★UP!』(94年)で長期連載するも少年誌を離れ、青年誌で『鉄腕バーディー』のリメイク、新シリーズを始める。元々は同人ノリの頃の作品で、どこかで見たいようなアニメや特撮のテイストが色濃かったが、改題を繰り返し長期シリーズとなる。結局、80年代以後のアニメ・同人産業あっての漫画文化を体現したような漫画家ではないだろうか。

・31P 2段目16L※イメージカプセル
レコード会社のワーナー・パイオニアのアニメ分野に特化したレーベル。漫画のイメージアルバムが多くリリースされた。そもそもは『銀河漂流バイファム』(83年)の音盤を手がけた事がきっかけで、レーベルの情報誌がスタート。レコード店で無料配布されていた。予算の都合等で脚本家やディレクターなどが声優を努めたり、漫画の原作者が登場したり、時には歌を歌うこともあったが、そうした内輪ウケ的・深夜ラジオノリがかえってファンに受け、特にあ〜るでは作風に合致したと思われる。あ〜るは87年だけで3枚もリリースされ、1枚めがワーナーパイオニア社内で「ヒット賞」を受賞、2枚目のvol.2がオリコン初登場20位を獲得した。リリースの経緯は、ゆうきまさみが音楽ディレクターとまとあきの友人であり、とまとがイメージカプセルに関わっていたことからスタート。ゆうきが山本正之(タイムボカンシリーズの主題歌等の作詞作曲歌唱)のファンだったことでイメージソングの作詞作曲をとまとのツテで依頼し、脚本で伊藤和典の参加、また伊藤の元妻で先述のクリーミィマミのキャラクタデザインを担当した高田明美が声優で参加するなど、友人知人業界人のオンパレード、仲間内と趣味で構築された世界となった。これには予算の都合といった側面が強いとされているが、カルトな人気の方向性の漫画とイメージアルバムというメディアの属性が偶然上手いこと融合してしまった、いわば事故のようなものではなかったか。これまでもアニメ分野でのイメージアルバムの類はあるにはあったが、再びこのジャンルが売れる、それも低予算でマニア向けでも商売になる、という一つのひな形を作ったのではないか。
イメージカプセルは6作ほど漫画原作のイメージアルバムを作成し、パトレーバーの初期ビデオシリーズのサントラ・イメージアルバムの他少々のみのリリースで、ワーナー・パイオニアがワーナー・ミュージック・ジャパンになった頃、会社の方針か、90年代初頭にフェードアウトしていく。

>top