私はこの店を知らない。長きにわたるぼったらの歴史にあって、ほんの数週間で姿を消した幻のぼったらやである。
 この店は私の兄が体験しているので(参考までに、私が1975年生まれで、兄は68年。兄当時小学高学年だから78年くらいの話)、その体験談をフィクショナルに表してみる。


 新しくぼったらやが出来たらしい。
との噂がぼったらのコネクション内に走った。Tは友人らに連れられ、その日の放課後、早速臨むこととなった。
 そこはぼったら激戦区、中青木一丁目にあった。大部、刈部を差し置くだけの自信があるのか、それともただの二番煎じ狙いか。
 たどり着くとそこはパン屋の二階らしいのだが、外からはガラス張りしかみえず、凡そ駄菓子屋であるぼったらやの様相とは異なり、対照的だ。不安を抑えつつ階段を上ると、そこはちよっとおしやれな喫茶店のような光景が展開していた。
 まるで、老舗にはかなわないからと、若者を夕一ゲットに新装開店した月島のもんじや屋を先取りしているような内装だった。

 次の日、ぽったらコネクションに、新たな衝撃が走った。

 新しく出来たところはとてつもなく、まずい。

 しかし、まずいといってもぼったらである。フリークならそのまずさも一度体験してみなくてはならない。ばったらが果たしてまずいということがありうるのだろうか。
 そうした淡い期待は現実の前に打ち砕かれることとなる。

 力をあり余しているバカ小学生が、しかも集団でその事実を知ったとき、いかなる様相を呈するかは想像に難くない。

「まじ〜んだよ!」(訳:まずいんだよ、このぽったらは)

 へらに付いたぼったらは、その磨かれたガラス板に無残にも投げ付けられる。
 そして時を経ずして、そのぼったら屋は忽然と姿を消した。その数日前、おしゃれな店内のガラス板に張られた張り紙のみが、閉店を予見していた。

『ぽったらを投げないで下さい』