■大部商店
川口市中青木1-9-15
1992年頃・閉店


閉店後の大部の様子

 時は小学生は高学年。
 周りには気付けば妙な、ぼったらコネクションが形成されており(それは姉弟であったりと、中学生からのの流入であった)、そして大部と刈部というぼったら屋があることが判明した。
 この二店舗は百メートルも離れていなく、ある意味対照的だった。大部は老夫婦なのに対し、刈部はおばちやん一人である。

 小学生がぼったらのようなものを食するのは主に土曜の昼である。学校は半日だし、お昼代ということでは過一で、300円もあればジュースも飲めるとあって、毎適土曜は主に中学生でごった返す。
 小学生当時の自分は、買い食いとは違う、超越した独自の文化にちょっとびびってしまっていたが、ぼったらが食えるのだ、背に腹は替えられない。主に小学生時分は大部によく行っていたと記憶している。
 世論では刈部はうまいとされていたが、その分、相当に混んでいた。
 大部は刈部には劣るし、何せ腹を壊しやすい時がある。でも早く食べたいから、比較的すいている大部に行くこととなる。
 同じ理由からか、大部の方が女子中学生が多かった気がする。だから、なかなかにドキドキで照れ臭かった。
 刈部には劣るけどスタミナぼったらだったら結構いける、とよくそれを頼んだ。

 そんなこんなで通い詰めているうちに、じいさんがぽっくり逝ってしまう。最近休みがちだなあ、と嫌な予感を打ち消すかのように噂していたが、その事実は刈部のおばちやんから聞かされることとなる。
 半年に一度くらいのペースになった、高校生の頃のことであった。